op.1 いずこへ? 風薫る、ナイチンゲール
初めまして。桔梗十字のゼペットじいと申します。
学生という木の素材から、医療人材を削り出し、生気をつけて送り出す仕事です。
このごろ、NHK「風、薫る」の成り行きが気になって仕方ありません。帝国医大第一病院が学生募集は梅岡から取らない、自前で集めるとか憎たらしいこと言い出して、バーンズ先生どうするんでしょ?
で、史実しらべました。バーンズ先生ことヴェッチ女史(1842生)は1887年9月に来日して、帝医第一病院の看護学教師になって一ノ瀬りんこと大関和さん(1858生)たちを教えるんですが、1888年11月にはもう退職して英国へ帰っちゃうんですね、あれま。
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ところが、大関チカさん1888年春に梅岡女学校こと桜井女学校を修了すると、すぐに帝医第一外科看病婦取締役にバッテキされるんですよ! そして1890年には文春(なわけないか)の特集記事で「日本のナイチンゲール」として紹介され、さらに帝医外科に「看病婦待遇改善の建議書」を提出してサッサとやめて新潟の高田女学校舎監兼伝道師に赴任、これぜんぶ1890年にやりました、カッコいいっ!
そして本家のナイチンゲールさん(1820生)、もとは悩める鬱持ち貴族女子だったんですが、1851年に上梓した「カサンドラ」で病を打倒し1853年にクリミア戦争に身を投じて不眠不休の活躍、帰国後は執筆活動に没頭し、世界の看護師たちのバイブルとなるような論文、エッセイ、書簡をものしました。1888年は持病に悩みながら、書き机で書きまくっていた頃ですね。
風、薫る の今週はまさに、ナイチンゲール、バーンズ、りんさん、直美さんが疾風迅雷のごとく働いていた時だったと想像すると、私ゼペットも居てもたってもいられず、文学部学生に戻って、読んで、調べて、想い耽ってレポートを綴ってみます。ね。
(6.15 キキョー・ゼペット記)